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ベニシアのエッセイ

クリスマスの始まり

北欧の冬は暗く、陽が昇るのは午前9時か10時。緑の森も、重い絨毯のような雪に覆われます。何千年も昔、古代の北欧では12月21日の冬至の日に「ユール」というお祭りを祝っていました。一日、一日と夜が長くなるにつれ、人々は薄暗くなっていく太陽の陽射しがいつか消えてなくなることを恐れたのでしょう。北欧以外の世界各地でも、この時期になると人々は同じ恐れを抱き、光の源である太陽を崇めるようになりました。

古代の人々は、北欧の長い冬を雪に埋もれた家の中で過ごしたことでしょう。狩猟も農耕もできず、他にすることもなく、ただ春の訪れを待ち焦がれる日々。厳しい寒さの中、長く寂しい毎日を過ごしていたに違いありません。やがて、近くの森で樫の大木を切り倒し、その丸太を運んで、空き地で大きな焚き火をする習慣が生まれました。「Yule Log(*ユールの大薪)」の焚き火は、雷神トールを崇めて樫の丸太を燃やした古代ノルウェー人の慣わしにまで遡ります。この聖なる炎は、12月6日頃から1月6日頃まで絶やすことなく燃やされました。ケルトの国々では、ドルイド(*古代ケルト族が信仰したドルイド教の司祭)がこの炎から種火をとり、森の中の教会に明かりを灯し、次の「ユール」祭が行われる翌年の冬至まで絶やすことなく燃やされました。

私の目には、古代ケルト人やバイキングの戦士たちが、冬の最中に妻や子どもたちと共に燃え盛る炎を囲んで、暖をとっている様子が浮かんできます。彼らは雪の中で歌を唄い、古代の英雄談や昔話を語ったことでしょう。勇敢さ、忍耐強さ、また恋愛を綴った物語が親から子へと、語り継がれました。また、発酵させたハチミツとリンゴやワインで作った温かいアルコール飲料を、「wassailing cup(ワッセイリング・カップ)」という大瓶に入れて回していたようです。これは「健康を祈る」という意味のアングロ・サクソンの言葉、「Was hael」に由来します。それから、ポリッジのようなものも食べていました。乾燥肉、石臼でひいた小麦、乾燥プラム、リンゴ、数種類のスパイスと、冬の間、手に入るわずかな材料で作ったお粥です。老若男女が暖かな火のそばで夜空の星を眺めながら、ホットワインやお粥でお腹を満たして、楽しい時間を過ごしていたのでしょう。

このポリッジの濃度は長い年月の間にどんどん濃くなり、イギリスでは「スティームド・プディング」に形を変えました。また時代が下るうちに、スエット(脂肪)を除いて材料から肉が姿を消しました。これが食事の最後のデザートとして出されるようになり、現在の「クリスマス・プディング」になったのです。いつからか、このプディングと同じ材料でケーキも作られるようになり、イギリスではクリスマスに作るこのヘヴィタイプのフルーツケーキが、結婚式や洗礼式にも出されるようになりました。このケーキを食べるのはラッキーなこととされ、一年中ずっと幸運が続くように、薄切りにしたケーキをゆっくり時間をかけて食べます。

キリストの本当の誕生日は、紀元前7年3月1日とする記録があるとも言われます。初期キリスト教会が、キリストの生まれた年を数え間違えたのでしょうか。キリスト教がヨーロッパで広まるにつれ、キリストの誕生日はユール祭の時期に移されました。ヨーロッパでは、クリスマス・シーズンは「アドヴェント(待降祭)」とも呼ばれ、ユール祭と同じ12月6日から1月6日までの時期を指しています。

南欧では、12月25日に冬至を祝っていました。古代ローマ人は、農耕の神サトゥルヌスを崇める「Saturnalia(サトゥルナリア)」というお祭りを催しました。この時期になると、ローマ帝国の住民は出入り口やテラスをローズマリーや月桂樹など、永遠の命の象徴とされる常緑樹の葉で飾りました。また、こういったハーブは邪悪なものから家を守る魔除けになると信じられていました。富める者は、貧しい隣人たちにお金や衣類を施す習慣もあったようです。1月1日を過ぎると、「Kalends(カレンズ)」という古代ローマの新年のお祭りが始まり、この時期にもプレゼント交換が、友人、親戚、子どもたち、召使の間でも行われました。太陽の象徴としてランプを贈ったり、甘く平和な一年が過ごせるようにお菓子やハチミツが贈られたり、さらなる繁栄と金運を祈って、金や銀を贈ることもありました。プレゼントの習慣はその後も受け継がれ、今ではクリスマスに欠かせない行事となっています。

クリスマス・ツリーに飾りをつける習慣は、ゲルマン人が暮らしていたライン川東部の森で始まりました。彼らも独自の冬至祭を祝っていたのです。「アドヴェント(待降祭)」の時期にドイツに行くと、華やかなクリスマス・マーケットと、そこで売られる職人芸とも言うべきクリスマス・ツリー用オーナメントの美しさに目を奪われることでしょう。このツリーの習慣は、こんな風に始まったのではないでしょうか。古代ゲルマン人は、退屈で暗い冬を小さな動物の木彫りを作って過ごし、村の近くのモミの木に吊るしていました。一年でもっとも昼が短くなる12月21日の冬至の日を、彼らはモミの木の回りで歌い踊って祝ったことでしょう。そのモミの木は、命の木と呼ばれました。それから何世紀も後に初期キリスト教がドイツに布教されると、キリストの教えを定着させるため、冬至のお祭りはキリストの生誕祭へと姿を変えました。そして命の木のてっぺんには、キリスト誕生の際に現われたとされる大きな星を飾るようになりました。1605年には、すでにストラスブールの市民が家の居間にモミの木を置き、色紙、リンゴ、ウェハース、金箔、お菓子などで飾りつけていたことが記録に残っています。

クリスマス・ツリーの習慣は、イギリスに先んじて、ドイツ系移民によりアメリカで広まりました。1841年にドイツのアルバート公が新妻のヴィクトリア女王にイルミネーションで飾ったクリスマス・ツリーを贈ったのが、ウィンザー城のクリスマス・ツリーの始まりです。王家のクリスマス・ツリーは人気を呼び、1860年代にはイギリスはもちろん、クリスマス・ツリーは世界各地に広がっていました。今ではクリスマスの時期になると、日本でもあちこちでクリスマス・ツリーを見かけます。キリスト教が広く布教された後も、古代ユール祭のしきたりは時代を経て受け継がれています。キリスト教会は11世紀に「ユール」祭を現在の「クリスマス」という名称に正式に変更しています。異教徒の祭祀であるユールのしきたりを廃止したかったのでしょう。

しかし、習慣は簡単に廃れるものではありません。フランスでは「Yule Log(*ユールの大薪)」が、クリスマスの有名なチョコレート・ケーキ、「ブッシュ・ド・ノエル」となりました。イギリスでは、クリスマス・キャロルを唄い、スパイス入りのホットワインを飲み、クリスマス・プディングを食べることが大切な習慣となっています。ドイツでは、クリスマス・ツリーとシュトーレンがクリスマスには欠かせません。以上の習慣は、いずれもキリスト教に由来するものではないのです。現在では世界中の人がクリスマスを祝います。物憂い冬の日を明るく照らしてくれるクリスマスは、大人も子どもも楽しみなイベントです。冬至は、太陽の恵みに思いを馳せる日。生きていること、そして私たちが暮らすこの美しい地球という星に感謝する日なのです。



バレンタインデイ

バレンタインとは、恋人たちの守護聖人なのでしょうか?どの伝説上の人物が本当のバレンタインなのか、歴史家たちの間でもはっきりとはわかっていません。彼に関してはいくつかの伝説がありますが、いづれも似たような話です。

初期の教会のには、数多くのバレンタインと言う名の聖人が首を切られたという記録が残っており、彼らは3世紀頃、2月14日くらいに処刑されたとあります。当時のローマではまだキリスト教が確立されておらず、2月14日はLupercaliaと呼ばれる豊穣祈願の祭りの日として知られていました。この日、羊や牛のために、ヤギや犬がいけにえとして捧げられました。身分の高い2人の若者がヤギの皮で作った下着だけを着けて走り回って、女性を襲い子供をもうけました。この祭りは時を経るうちに、だんだんと変化していきました。長い年月の後、ローマの女性の名前を紙に書き、入れ物に入れられるようになりました。若者は、その入れ物から女性の名前が書かれた紙を選び、祭りの間その女性と一緒に過ごすのです。そのカップルがずっと続くこともあり、恋に落ちて本当に結婚することもありました。

バレンタインはローマ帝国のクラウディス皇帝に仕えたキリスト教の神父だ、という言い伝えもあります。クラウディス2世は、独身で家族の面倒をみなくてよい若者は兵士として彼に仕えるべきとして、若者が結婚することを違法としていました。バレンタインは、若者から老人まで、そして貧しい人々から裕福な人々まで、彼の執り行う礼拝に出席した多くの人々に崇拝されていました。彼は心暖かい愛情豊かな人物だったので、皇帝の命令に公に逆らい、若い恋人たちのために、お城の地下やワインセラーなどで秘密裏に結婚式を執り行っていました。彼はまた、キリスト教の殉教者たちを援け、ローマ帝国の厳しい牢屋から逃がしていました。その牢屋では、ムチデ打たれて死んでいく殉教者たちも多くいました。そのうちに、バレンタインの皇帝に対する反逆が表ざたになり、クラウディスは彼を棒で打って責め、西暦270年頃の2月14日に首を切りました。

彼が初めてバレンタインのグリーティングカードを自分自身に贈ったとされる伝説もあります。彼が牢屋につながれている時、看守の娘の盲目の女性と恋に落ちたと言われています。彼女に対する愛と偉大な信仰で、彼は奇跡的に彼女の目を治しました。彼が断頭される前の夜、彼は彼女にラブレターを書き、「貴女のバレンタインより」と署名したことから、その表現は現在でも使われています。中世の時代までは、バレンタインはフランスとイギリスで最も有名な聖人で、恋人たちの守護神とされていました。ローマにおける女性をくじで選ぶという習慣は、教会によって次第に禁止されるようになりました。しかし、2月中旬のLupercaliaの祭りは、聖バレンタインの記念日となりました。ローマの男性は今でも、女性の愛情を確かめるために、この習慣に習います。愛する女性に、名前を書かずに「貴女のバレンタインより」とだけサインした手書きのメッセージを贈ることが伝統となりました。

この伝統は数世紀にも渡って続き、バレンタインのラブレターとしての最初の記録は、フランスの若者でした。彼は、フランスのオルレアンに住んでいたCharles Dukeという若者でした。彼は、アジャンクールの戦いの後、1415年にロンドン塔に幽閉されていました。彼は、バレンタインの日に、フランスにいる妻に数編の詩を贈ったとされています。不思議な事に、中世の時代、2月14日は鳥が交配する日と、ヨーロッパ中で信じられていました。ハトは命を紡ぐために交配するので、バレンタインのラブレターの中でハトは貞節の象徴として使われました。17世紀、人々は当時の有名な詩人が書いた愛の詩を真似て、独自の手紙を書くようになりました。。

バレンタインのグリーティングカードが始めて商品として売られたのは、19世紀半ばです。それらは、上等な紙にサテン、リボン、レースなどを飾り、手間隙かけて作られていました。情熱と深い愛情を赤で、暖かさと心優しさをピンクで、清純、献身、忠誠を白で表していました。ハートの縁飾りに、恋人たちの結び目、恋人たち、キューピットの絵が描かれていました。現在では、セントバレンタインデイのお祝いは、世界中に広まっていますが、それぞれ国によって習慣は違います。イギリスでは、カードが最も人気のあります。心情的なものからお洒落なもの、そしてユーモラスなものまで、様々なカードが売られています。男性は先ずカードを選び、愛の言葉を添えて妻や恋人に贈ります。しかし、自分の名前は書かず、「貴女のバレンタインより愛を込めて」とだけ書くのです。そのカードを貰った女性は、一体誰から贈られたのかと、どきどきするのです。

フランスではそんなに頻繁にカードを贈ることはなく、男性女性とも、花、チョコレートなどのプレゼントを贈ります。時には深い愛情の印として宝石を贈ることもあります。一般的に、男性はバレンタインの日に、妻や恋人をローソクの灯るロマンティックな食事に誘い、お互いにプレゼントを交換します。

アメリカでは、子供たちは学校でバレンタインのお祝いのパーティーをします。パーティーの前日、子供たちはそれぞれ綺麗に飾った箱を作ります。その箱の上には穴が開いていて、パーティーの間に、手作りのカードやラブレター、チョコレートやキャンディーなどを、自分の好きな子の箱に入れるのです。友達のアメリカ人は、カードよりも、愛する人の職場に花束を贈ることが多いと言います。また、自分の愛を伝えるためにユニークな方法を考え出します。例えば、夫が妻に朝食を作りベッドサイドまで運んだり、レストランでの夕食に誘ったりします。若い女性なら、ボーイフレンドにハート型のチョコレートクッキーを焼いたり、彼のお気に入りのラジオ番組に曲をリクエストしたりします。お母さんが子供のランチボックスにチョコレートを隠したりもします。アメリカでは、決められたルールは無いようです。

そして、日本では、女性が大好きな男性の友だちや同僚にチョコレートをプレゼントします。どうしてそのような習慣が生まれたのでしょうか?1936年に、神戸にあるヨーロッパ系のチョコレートショップのオーナー、モロゾフ氏がバレンタインチョコレートを初めて作り、ジャパンタイムズのような英字新聞に広告を出しました。けれども、女性がチョコレートを贈る習慣が日本中に広まったのは1970年代になってからです。

バレンタインデイは、私たちが愛する人に愛を伝えることを思い出させてくれる祝日となりました。日常の中で、パートナーや子供たち、両親のことをどれほど愛しているか、伝える時間が無いことがしばしばです。テレビを観たり、コンピュータゲームをしたり、メールに返信したり、ネットサーフィンをしたりすることに、多くの時間を費やし過ぎているのでしょう。愛する人や一緒に暮している人が、寂しさを感じていることを、私たちは時々忘れてしまいます。彼らがコンピュータの世界の誰よりも、私たちを必要としているのです。そういう意味で、バレンタインの日に、ゆっくり座って話しをしたり聞いたりすることは、大変良い機会だと思います。

私にとってバレンタインデイは、家でロマンティックな夜を過ごすちょうど良い機会です。テーブルを綺麗にセットし、バラを挿した小さな花瓶を飾ります。夫や子供の好物とチョコレートのデザートを作ります。外で雪が降っていても、キッチンの火は部屋を暖かくします。大原では2月は一年で一番寒い季節です。バラの素晴らしい香りがリラックスさせてくれ、幸せな愛情あふれる香りを作ってくれます。バラはギリシャ神話の官能と愛の神、エロスのアナグラムです。2月14日には、家族だけでなく友だちなど、どこかで寂しさを感じている人に愛を伝えてください。気まぐれな親切は誰かの心を暖かくします。



ベニシアが折にふれて書き綴ったエッセイから、いくつかのハーブをご紹介します。


タイム(Thyme)

世界中には350種のタイムがありますが、ふつうは地中海地方原産種を指すようです。名の由来はギリシャ語の ”thymon”(勇気)です。ローマ時代、戦場に行く前の戦士たちは、勇気と活力をつけるためタイム入りの風呂に入りました。古代エジプトでは王のミイラを作るとき、タイムオイルを防腐剤に使いました。中世ヨーロッパの女性は、タイムの枝の模様をスカーフに刺繍して、想いを寄せる騎士に贈ったということです。

我が家では料理や咳止め薬などに使うため5種類のタイムを庭に植えています。ある日、私はイブキタイムという珍しい名のタイムをハーブショップで見つけました。植物図鑑で調べてみると和名はイブキジャコウソウということでした。イブキとは滋賀県北部に位置する伊吹山のことです。この山は植物学的に有名な山で、この山の名がつく植物は他にも数種あります。ジャコウとはその香りの良さからきたものでしょう。

野生のイブキタイムを見たくて8月のある日、私は家族と一緒に伊吹山登山に出かけました。伊吹山の駐車場に着くと、関西一の高山性植物のお花畑を見に、たくさんの登山者がいました。遊歩道を登って行くと樹木が生えていない台地状の山頂一帯には、様々な花が咲き乱れていました。
記録によれば400年前、織田信長はポルトガルの宣教師にヨーロッパから薬草を取り寄せさせて、伊吹山麓から山頂にかけて薬草園を作ったそうです。現在この山には約250種の薬草が自生しているそうですが、ヨーロッパ産の薬草はないそうです。気候が合わなくて育たなかったのでしょうか?それとも日本の薬草だけで充分に間に合ったのでしょうか?

その日私はイブキハーブを見つけることはできませんでしたが、たくさんの種類の日本のハーブを見ることができて満足でした。大昔の人々は地球上のあらゆる所で、その土地原産のハーブを発見したことでしょう。今、世界中のあらゆる物が手に入る時代です。しかし、ほんとに必要な物は遠くを探さなくても、すぐ近くで見つかるのでは・・・そんなことを考えながら遊歩道を戻りました。



ローズマリー(Rosemary)

私のお気に入りのハーブはローズマリー。この名を初めて知ったのは私がイギリスの高校にいた頃です。その頃、学校の友だち二人と組んで私はフォークソンググループ「スィート・ドリーム」を始めました。私たちの看板の曲は♪パセリ、セージ、ローズマリー、タイム♪といった今では世界中で有名になったフレーズのイギリス民謡「スカボロ・フェア」。私たちはライブハウスなどで歌い始め、それから5年後にはレコードを作る話が持ち上がりました。ところが、運命のむごい仕打ち。同じ頃、海の向こうでアメリカのミュージシャン「サイモンとガーファンクル」が、この民謡をヒットさせてしまいました。「私たちの曲を盗られた・・・」というちょっと悔しい気持ち。でも、これは昔から多くの人に歌われてきた民謡なので仕方ありません。結局レコードデビューの話はおしゃかになってしまい、私はスィート・ドリームを辞めてインドへ旅立つ決意をしました。

時は流れ、私は今、京都大原の古い農家に住んでいます。インド滞在の後、澄んだ尺八の音色に憧れて日本に足を伸ばしてみたのが運命のいたずらでした。無一文で鹿児島港に上陸してから今年で33年が過ぎました。その間、4人の子が成長し、ようやくこのごろ大好きなガーデニングに集中できるようになりました。庭のハーブの手入れをしながら気がつくと♪パセリ、セージ、ローズマリー、タイム♪とスカボロ・フェアを私は歌っているのです。

ローズマリーのラテン名は「ローズ・マリーナス」、海の霧という意味です。原産地は地中海沿岸。スペインでは聖母マリアがエジプトへ逃げる時、ローズマリーが守ったとされています。マリアは青いマントを着ていたので、ローズマリーが青い花の色に変わったということです。イギリスでは恋人への忠誠の証として、結婚式で花嫁がローズマリーのリースを身に付けます。葬式では棺桶に会葬者がローズマリーの枝を入れます。殺菌、防腐、強壮、消化を助け、記憶力を良くするなど多くの薬効があり、薬草として、また、料理、美容など多くの用途があるハーブです。



パセリ(Parsley)

パセリは世界中で最も広く使われているハーブです。料理の飾り付けによく使われていますが、ほとんど食べられずに捨てられてしまう可哀想なハーブです。しかし、パセリをなめてかかってはいけません。鉄分、ビタミンA、B、C、カルシウムの宝庫。腎臓と膀胱の働きを助け、リウマチに効きます。また、煎じた汁はトニック効果があります。
「パセリを取ってちょうだい。カーリーリーフ(普通のパセリ)でも、イタリアンでもどっちでもOKよ。どちらも同じように使えるよ。外側から摘んでね。もし、花が出ていたらまんなかをポキンと折ってね。そうすればその周りから葉が出るからね」。

ジャージー牛の原産地として有名なジャージー島は、資産にかかる税金の負担が少ない特別な場所でもありました。母の3回目の夫となった資産家のダドリーは、結婚を期に都会での派手な生活を辞めて、母と三人の連れ子と共にこの島に移住したのです。

ダドリーが経営を始めた農場は大規模なものでしたが、私たちのキッチンガーデンは母と小さな子供たちで手入れできる大きさでした。2匹の豚と1匹の牛と数匹の鶏の世話は私たち3人兄弟の仕事でした。ピンク色の花崗岩でできた家畜小屋に干草を入れ、まゆ毛が長くてかわいらしい牛のデージーの乳を搾りました。蹴られる危険があるので細心の注意を払いました。豚の世話はちょっと臭いけど簡単で、卵集めは楽しい仕事でした。一番嫌な仕事は鶏をさばくこと。首を切り落として胴体だけとなった鶏が走った後、パタリと倒れるのでした。

そんな暮らしは長く続きませんでした。気移りしやすくモテモテだった母は、4度目の夫と出合い、私たちはジャージーを去ることになりました。今思えば、料理や園芸、菜園作り、そして、鶏をさばくことなどを、お姫様暮らしで育った母がどうやって覚えたのか不思議です。今でも私はパセリの香りをかぐと、ジャージーのキッチンガーデンと青い空と海を思い出すのです。



レモンバーム(Lemonbalm)

イギリスにラビングカップと呼ばれるカクテルがあります。その名は、愛を育む飲みものという意味を持っています。中世のイギリスでは、求婚者の男性が心を寄せる女性の家に招かれたとき、その女性の母親がこのカクテルを作ったということです。冷たいレモンバームティーに白ワインを混ぜたこのカクテルは、彼らの緊張した雰囲気を和らげたのでした。

その後、産業革命の頃から日常生活の中でハーブを使う習慣はだんだん衰退し、ラビングカップも飲まれなくなりました。ところが60年代以降、ニューエイジ文化の胎動とともにハーブを見直そうという流れが欧米で始まりました。今ではハーブ愛好家の間で、夏のバーベキューパーティーのときなどにラビングカップは引き継がれています。

レモンバームは憂鬱や悲しみを和らげ気持ちを落ち着かせる効果があり、頭痛や不眠症にも効きます。1?2世紀のアラブの医者たちによって書かれた薬学書にも記されており、古代から薬草として使われてきました。おもしろいことに、愛を育てるためにレモンバームが入ったラビングカップが飲まれましたが、失恋を癒すためにもレモンバームは働いてくれるようです。

私は、私のオリジナルであるレモンハーブティーブレンドのベースにレモンバームを使います。レモングラス、レモンミント、レモンバーベナ、それにレモンバームといった全て爽やかなレモンの香りを持つハーブのブレンドティーです。ブレンドすることにより味と香りが深まり薬効も増します。レモンバームの効果は前述しましたが、レモンミントは消化を助け、レモンバーベナはリラックス効果があり、レモングラスは疲れを取ってくれます。

レモンバームはミントに似た姿を持つ多年草で、日本の気候に合って育てやすい植物です。日当たりが良いところを好みますが、日本の真夏の太陽はきつすぎるようなので庭に直植えするときは夏に半日陰となるようなところがいいでしょう。

私は5月の終わりと8月の年2回、ハーブティーを作るために茎ごと刈り取ります。8本ぐらいを束ねて輪ゴムでくくり、乾燥して風通しの良い日陰に2週間干します。カリカリに乾燥したら葉をむしり取り密閉容器に入れます。残った茎をそのまま捨てるのはもったいないので洗濯ネットなどに包み、お風呂に入れるといいでしょう。きっとリラックスできますよ。



ラベンダー(lavender)

幼い頃、私は弟と二人で南フランスのプロバンスにある父の小さなビラ(別荘)に行きました。その頃、両親は離婚していたので私はイギリスの母の家に住んでいました。久しぶりに父と過ごしたその夏の数週間は私にとって特別なものでした。

ハーブでいっぱいのロックガーデンでは、ミストラル(南フランス特有の北風)に揺れるうす紫のラベンダーの花を求めて、蝶や蜂たちが忙しそうに飛び回っていたのを覚えています。ロックガーデンに置いた木製の古いガーデンテーブルで、私たちはよく昼食を食べました。高台にあるビラの窓からは地中海が見渡せました。きらきら光る海面がオレンジから紫色に染まる頃、父は毎晩のようにロビンソンクルーソーなどの冒険物語を私たちに読んでくれました。その夏の私の想い出は父の朗読する声とラベンダーの甘い香りとともに今でも心に残っています。

ラベンダーは地中海から中東が原産地ですが、今では世界中のあらゆるところに植えられています。花や香りを楽しむだけでなく、料理、クラフト、薬として多くの使い道があります。ラベンダーのラテン名LAVAREは洗うという意味です。記録によると、むかしローマでは服やリネンを洗ったあとラベンダーの株の上に載せて干したそうです。そうするとラベンダーの良い香りが衣類に付くだけでなく、殺菌防虫効果も得られました。また香り付けとヒーリング効果を得るため風呂にもラベンダーを入れました。ラベンダーは頭痛、鬱、高血圧の症状をやわらげ、リラックスさせる薬効成分を含んでいます。

私はラベンダーの花をケーキ、アイスクリーム、ジャムに入れて香りつけにします。フレッシュなラベンダーの花を砂糖に漬けておくと砂糖に香りが移り、花期以外の季節にデザートを作るときに便利です。また、ラベンダーを煮出してラベンダーウォーターを作り、洗濯のすすぎの仕上げに入れたりアイロンのときスプレーします。シーツや枕カバーに香りをつけるとよく眠れます。ラベンダーでサッシェを作りタンスや押し入れに入れておくと、防虫効果があるので虫がつきません。我が家では、ラベンダーはなくてはならないハーブのひとつです。



ヤロー(Yarrow)

今でこそエコノミークラス症候群という病名は広く知られるようになりましたが、私が罹った23年前、それは全く知られていない病気でした。大阪からイギリスへの長いフライトの後、私はロンドンで左足の内部に微かな痛みを感じ始めました。そして2,3日たつと左足は風船のように腫れあがってきたのです。

病院に行きましたが医者でも首をかしげるばかり。ようやく、3軒目の病院で深部静脈血栓症と診断され、即刻2週間の入院となりました。長時間、狭い飛行機の座席に座っていたため、太腿の奥の静脈に血液の固まりができたのです。その固まり、つまり血栓が肺や心臓に流れて血管を詰まらせると命に関わることになります。血栓を無くして血の粘りを取るため、医者はワッファリン(血液の抗凝固剤)をずっと飲み続けるように言いました。

ところが、私は現代医薬を飲み続けることに抵抗がありました。私に血栓ができた原因のひとつは、当時まだ一般的でなかった日本製の強いピル(経口避妊薬)による副作用でした。私は止めたい気持ちを持ちながらも他に良い薬を見つけられず、毎日6年間ワッファリンを服用し続けました。そんなある日、友人がヤロウと言うハーブが私の病気に効くと薦めてくれました。調べてみるとヤロウはアメリカ原住民が使うハーブの中で最も効能があるもののひとつということでした。 ヤロウのラテン名achileaは古代ギリシャのトロイの戦いで、アキレアが傷ついた戦士たちをヤロウで治療したことからきています。中国ではヤロウの茎を占いに使い、ヨーロッパではケルト民族の神職者、ドルイドが天候を予測するのに使っていたということです。
ヤロウは体を浄化、消化を良くし、発汗を促し、風邪、花粉症、インフルエンザ、歯痛に効きます。私は8月に花と葉、それに茎を収穫して乾燥させ、ティーにして飲んでいます。ワッファリンを止めてもう17年になります。

英語のヤロウの語源は古代アングロサクソンのgearweから来ており、その意味は「備えている」ということです。病気予防のため、私はヤロウをいつでも「備えている」ように努めています。



セージ(Sage)

♪パセリ、セージ、ローズマリー、タイム♪といった今では世界中で有名になったフレーズのイギリス民謡「スカボロ・フェア」。この連載は前述の4つのハーブをテーマに今回で4回目を迎えます。今回は私が冬によく使うセージの番です。

昔からセージは料理や薬草に広く使われてきました。アラビアには「庭にセージがあれば人は死なない」という諺があります。セージのラテン名SalviaのもととなるSalvereは、治癒または救うという意味を持っています。英語のSageはハーブの名だけでなく「賢者」という意味もあります。

セージという響きで私がすぐに思い出すのはクリスマス。その日、家中がセージと七面鳥の焼ける匂いに満たされるのが、幼い頃から何十年も続く我が家の恒例行事です。途中の十年間ほどは菜食生活を送っていたので、その間はお休みしていましたが。七面鳥の付け合せはローストポテト、芽キャベツと栗、人参のオレンジソース煮。これらは、イギリスの伝統的なクリスマスディナーで、日本で正月におせち料理の黒豆を食べるのと同じです。セージは肪分を分解する働きを持っているので脂の多い肉料理によく合います。ソーセージのセージはこのハーブを指しているのです。
セージは抗菌作用や収れん作用を持っているので、風邪による咳やのどの痛みをやわらげる働きがあります。私は風邪をひくとハチミツ入りのセージティーをよく飲みます。ハチミツはハーブティーを飲みやすくしてくれるだけでなく抗菌作用があり、抗生物質としての効力も持っています。

それからセージは女性のハーブとも言われています。生理不順や更年期障害に効くハーブとして昔から使われてきました。更年期障害は女性ホルモンのひとつエストロゲンの分泌が減ることによって起きる現象です。セージはそのエストロゲンを含んでいるのです。

一般に日本女性の更年期障害は、欧米人と比べてずっと軽いということです。大豆にはエストロゲンと似た性質の物質が含まれているということです。味噌、醤油、豆腐などの大豆加工食品を多く食べる日本人は、大地からの女性ホルモンの恩恵を受けているのです。